「褒めない・叱らない」「勇気づける」子育てとは?~アドラー心理学について~

教育・子育て分野で注目が集まる「アドラー心理学」

昨今、「褒めない・叱らない子育て」または「勇気づける子育て」と題した書籍やセミナーの案内を目にすることが多くなりました。

例えば、

といったものがあります。

この「褒めない・叱らない」「勇気づける」子育ての源流になっているのが、アドラー心理学です。

この心理学が我が国で注目されるようになったきっかけは、数年前、そのエッセンスを詰め込んだ書籍「嫌われる勇気」が大ベストセラーになったことです。

かくいう私も、この本を読んだことがきっかけでアドラー心理学を学び、療育者として大きく成長できた、という実感を持っています。

 

「褒めない・叱らない」の理由は?

アドラー心理学を紹介するときに使われる「褒めない・叱らない」あるいは「勇気づける」といったキーワード。

「叱らない」は叱られる側の気持ちを思えばまだしも理解できそうですが、「褒めない」となるとすぐさま納得できる人は少ないのではないでしょうか。さらに「褒める」のではなく「勇気づける」のだと言われてしまえば、前者と後者にどんな違いがあるのか、さらにわからなくなってしまいます。

一つ一つ解説していきましょう。

アドラー心理学は明快に「叱るのも褒めるのもダメ」と言っています。なぜなら叱るのも褒めるのも、それをする側に相手の優位に立って思い通りに操ろうとする意図があり、結果として両者の間に対等でない関係を生み出すからです。

そのことを示す面白い例えが上記「嫌われる勇気」の中で紹介されています。

小さな子どもが皿洗いを手伝ったとき、母親が「お皿洗いして偉いわね」と褒めることがあります。しかし、同じことを夫に言えるでしょうか。中々言えないと思います。もし言ったら夫は「馬鹿にするな!」と怒る可能性が高い。

なぜ夫に言えないことが子どもに言えるのでしょうか。そこにはすでに「大人と子ども」という対等でない関係があるからです。そして、「偉いわね」という褒め言葉はこの非対等な関係を強化してしまうのです。

その結果、子どもは褒められたいがために、母親の指示ばかりを気にし、なぜお皿を洗う必要があるのか自分の頭で考えなくなります。そして、母親の目がないところでは積極的に自分の役割を果たそうとしなくなるでしょう。

どうすればよかったのか。母親は「お皿を洗ってくれたのね。ありがとう。助かったわ」と言えばよかったのです。

こうした言葉がけであれば、子どもは自分が家族の一員として対等に扱われていることを知り、家族に貢献できた自分に自信を持つことができます。その自信は、子どもの中に家族の一員としての責任感を生み出します。その子は、たとえ親の注目がない場面においても、家族の一員として自らの責任を果たすことでしょう。

ここでの「ありがとう。助かったわ」というのが、アドラー心理学でいう「勇気づけ」の言葉がけになります。

勇気付け=braveではない

余談ですが、この「勇気づけ」という言葉も、やや誤解を招きそうです。しばしばBraveという訳語が充てられますが、そうなると「勇気」というより「勇敢」といったニュアンスが強く、我が国の気候変動に多大なる影響を及ぼす元テニス選手の方のように、ひたすら「頑張れ!諦めるな!」と連呼するイメージを思い浮かべてしまいがちです。

注:これはアドラー心理学の「勇気づけ」ではありません。

 

アドラー心理学の「勇気づけ」は、いわゆる「励まし」ではなく、あくまで対等な立場から本人の意志や主体性を尊重しつつ、先に紹介した「ありがとう」の例のように望ましい行動に好意的な言葉をかけたり、本人が望む方向に進めるようアドバイスしたり、明らかに間違った方向に進もうとしたとき望ましくない帰結を示してあげることなのです。

 

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