「心理学のモーツァルト」と呼ばれたヴィゴツキーの言葉。ゲームの教育的価値を語る言葉としてこれ以上のものはないと思います。引用はいずれも「教育心理学講義」から。
“社会の教育のもう一つの課題は、特別にデリケートな形式の社会的コミュニケーションの育成と琢磨です。問題は、私たちの時代の社会的関係は、スケールにおいて巨大であるだけでなく、文化と複雑さの程度においても巨大だということにあります。”
“生活の複雑さの増大とともに、人間はますます複雑で多様となる社会関係に参入し、きわめてさまざまな社会組織の一部分となります。それゆえ、現代人の社会関係の多様性は、何らかのあらかじめ準備された習熟や能力で解決することはできません。”
“むしろ教育の目的は、一定量の能力を形成することではなく、すばやくたくみに社会的判断を行う一定の創造的能力を形成することに有ります。”
“市街電車の乗客の間に作られるきわめてくだらない簡単な社会関係から、深い愛情と友情の形態で発生するきわめて複雑な社会関係に至るまで、人間は自分と他人との関係の発見には真の創造的能力を必要とします。遊びは、社会関係のそのような明確化、琢磨、多様性を教えます。”
“子どもを新しい状況に投げ込み、新しい条件に従わせることによって遊びは、子どもに運動の社会的調整を無限に多様化させ、他のどの教育分野もできないような柔軟性、弾力性、創造的能力を教えます”
“条件付きの競技と呼ばれる第3のグループがあります。これらは純粋の条件的規則から生まれ、それと結びついた行為は、遊びの高等学校のようです。この競技は、行動の工事の形式を組織し、行動のかなり複雑な課題の解決と結びついており、競技者に緊張、起点、機知、さまざまな才能や力を組み合わせた共同の作業を要求します。
この競技のどれ一つも他の競技の正確さを繰り返さず、それぞれが一瞬にして新しい状況をあらわし、それらが常に新しい解決を求めます。このような競技は、社会的経験の偉大な学校であることを考慮する必要があります。この競技では、子どもの努力が常に他の競技者の努力の多くによって制限されたり、規制されます。すべての課題競技では、自分の行動を他人の行動と調整し、他人との積極的関係に身を置き、攻撃したり守ったり、邪魔したり助けたり、すべての競技者との全体の中で自分の動きの結果をあらかじめ計算する能力が必須の条件となります。
このような競技は、子どもの生きた社会的・集団的経験であり、その意味でこの競技は、社会的習熟や能力を教育する全く代え難い手段です。
”遊びは、行動あるいはエネルギー消費のシステムを一定のルールに従わせる合理的、合目的的、計画的、社会調整的活動です。そのことについて遊びは大人によるエネルギーの労働的消費との類似を表しています。”