認知発達段階を踏まえた療育とは
前回の記事では、認知発達のキー概念である「シンボル機能」について説明しました。
改めて説明すると、シンボルとは、ある具体的な事象を、別の事象で代表したもので、たとえば「トラ」「りんご」などといった名前や、「動物」「果物」などといった種類、あるいはゲームのルールなどもシンボルに含まれます。
これらのシンボルは、直接眼に見えないけれども物事を分類したり理解するのに必要で、私達はこうしたシンボルの自在に操ることで、複雑な物事を考えることが出来るようになります。
シンボル機能の芽生えは、健常児では2歳前後となりますが、発達障害や知的障害のあるお子さんの場合は、それよりも遅れることがあります。
従って、これらの障害を持つお子さんを療育するときは、シンボル機能を持っているかどうかなど、認知発達段階を正しく見極める必要があります。
認知能力が療育とどのように関係してくるか、私が週1で指導を行っている放課後等デイサービス「オルオルハウス」での実践を通じて解説していきましょう。
今回は、まだシンボル機能をきちんと獲得していない、発達段階の初期にあたるお子さんの事例を紹介します。
(なお、下記で紹介する写真は全て、事業所様の了解を得た上で掲載しています。)
説明を聞かずに絵本を読んでしまうAさん
上の写真は、小学校低学年の二人に、スティッキーの説明をしているところです。奥側の男の子は私の説明を興味深そうに聞いていますが、手前の女の子は絵本に集中して私の話を聞いていません。
この絵本を読んでいる女の子が今回の主役です。仮にAさんとしましょう。彼女とは、この日が初対面でした。Aさんには知的な遅れを伴うダウン症があり、普段は特別支援学校に通っています。
絵本に集中しているAさんですが、私は彼女に自分の話をきくよう注意しませんでした。なぜなら、彼女はゲームという言葉の意味やルールを理解するのに必要なシンボル機能が形成されていない可能性が高かったからです。
なぜそう考えたか。これより少し前に、私が「これからゲームを始めるよ!集まってください」と声をかけたとき、Aさんが絵本を持ってきて私に差し出す、という出来事があったからです。
私がゲームを始めると言ったのに、Aさんは絵本を持ってきた。この事から、私は「彼女はゲームという言葉の意味を理解していない。ということは、シンボル機能をまだ獲得していないのではないか」と推測しました。
そこで普段から彼女と接しているスタッフさんに「彼女は普段どんな言葉を発しますか?」と確認すると、「かろうじて、自分の好きな桃の絵を指して『もも』と言うくらいです」との答えでした。
このことから、私はAさんがまだ、物に名前があることを理解し始めたばかりであること、言い換えればシンボル機能が芽生え始めたばかりの段階であることを理解しました。
それならば「ゲーム」という抽象的な単語の意味がわからなかったのも理解できますし、ましてやゲームのルール説明が難しく、興味を示さなかったのは当然です。
このあと、試しに一度だけスティッキーをプレイしてもらいましたが、予想したとおりAさんは興味がなく、プレイに参加しようとしませんでした。
マンツーマンで認知能力の形成を促す
こうしたAさんの様子を見て、私はマンツーマンの指導に切り替えることにしました。そして、シンボル機能の基礎を固めるために「物と名前の関連付け」や「同じものと異なるものの区別」が確実にできるようになることを療育の目標としました。
先ほど、Aさんが私に絵本を持ってきたことがヒントになりました。彼女の場合、言葉よりも、色や形といったビジュアル的な要素に興味を感じやすいのではと考えたのです。
そこで、私は可愛らしいクマの絵が描かれた「テディ・メモリー」を彼女に提示してみました。
このゲームには可愛らしいクマの絵が2枚1組で描かれており、普通は神経衰弱と同じルールで遊びます。しかし、ルールの理解が難しいと思われるAさんには、神経衰弱ではなく、箱に入ったカードのなかから、同じ絵同士を探しだしてもらう形で取り組んでもらいました。
先ほどの興味のなさそうな様子とはうってかわって、キラキラした目でクマのカードを手に取るAさん。私が「同じカードはどれかな?」と言葉をかけると、カード同士を並べ、また関係ないカードは放り投げるなど、弁別する作業を楽しそうに進めていきました。
Aさんのような認知発達段階にあるお子さんは、「物に名前のあることが理解できる」、「同じものと違うもの区別できる」などといったシンボル機能が少しずつ形成されているところです。
そこで、私はAさんがカードを分類していく過程で、「このクマは二つともはちみつを持っているね」とか「こっちのクマは靴を履いているけど、こっちのは靴を履いてないね」と入った風に、それぞれのクマの特徴を言葉に表して、物と名前の関係や、同じものと異なるものの区別が、彼女に理解されるように促していきました。
このような療育を繰り返すことで、シンボル機能がお子さんの中でしっかり確立していきます。この次のステップは、「大小の比較」や、「物と使い途の関係」などになります。それができるようになると、今度はゲームのルールのような、より複雑な概念も理解できるようになってくるのです。
認知発達段階の理解は療育の必須条件
発達障害・知的障害のあるお子さんを療育する上で、その子の認知発達段階を正しく理解することは、障害特性の理解と同じかそれ以上に重要だと、私は考えています。
その理由の一つは、認知発達段階を理解しないと、お子さんが見せる行動の理由が解釈できないからです。
認知発達段階を知らないと、たとえば、上の写真で私が説明している最中に本を読んでいるAさんの態度をみて「先生が説明しているのに、ちゃんと話を聞いていない。やる気が無いんじゃないか」などと誤解してしまいがちです。
しかし、後に提示した「テディ・メモリー」に意欲的に取り組んだことからわかるように、Aさんは積極的に学ぶ意志(この段階では遊びに対する興味とほとんど同じ)を持っているのです。
Aさんのケースで明らかなように、その子の認知発達段階に合った課題を用意すれば、お子さんは楽しんで療育に取り組んでくれます。
仮にその子の認知発達段階を超えるような課題を提示したら、お子さんは取り組みを拒否したり、離席したり、暴言を言うなどの問題行動が頻繁に起き、療育は成立しないでしょう。理解できない課題を無理やりやらされているのだから当然です。
このことからもわかるように、お子さんの認知能力を見極められることと、そこに合わせた課題を用意できることは、療育が成立するための必須条件なのです。
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