放課後等デイサービスの研修で・・・
昨日研修させていただいたデイはなんと職員の中にノースカロライナでTEACCHを学んだ方がおり、かつてないほど構造化された教室環境だった。
周りがパーテーションで区切られており、余計なものが目に入らない。だから目先のことに集中できる。目先のことに集中できるから余計な声や音がでない。ゆえに視覚のみならず音声の刺激も減る。
その中の小集団指導用スペースでアナログゲーム療育をしたが、刺激が少ないのでお子さんが集中しやすく、指導者としても相当やりやすい、という実感をもった。
ひるがえって、今定期訪問しているデイはオープンな一部屋で、視覚支援も荷物の置き場所や手洗い場所、その日のグループ分け程度の最低限なもの。
なのでゲーム中に他の子が手を出してきたり、誰かが教室に入ってくると子どもの注意が逸れて席を立ってしまったりする。しかし、これはこれで意味があると思った。
一人遊びをしていた自閉症児がゲームで遊んでいるところに手を出してくるのは集団への興味の表れとして見ることができる。実際、そのまま集団参加をさせて、意外とすんなりやれてしまうことがある。 仮にその子がゲームを壊そうとするなら、それをプレイしている子が指導者の代わりに、キツすぎない言葉で注意するよう促すことがこれまた療育となる。
みんなでゲームをしているのに別のことに気を取られてしまうなら、「座ってゲームをしますか?それとも、ゲームはやめますか?」と問いかけることで、集団遊びを楽しむには一定の義務が伴うことを教えることができる。
TEACCHの構造化は、刺激を減らし見通しを立ちやすくする点で自閉症のある子が過ごしやすい環境を提供する。かたや構造化をしないことで子どもが多くの物理的・社会的刺激に触れることが、その発達を促すという事もありそうだ。
これはどちらが優れているかというよりも、利用の時間の中で子どもに何を提供するのか、という選択の問題だ。言いかえれば、その教室の持つ発達観・療育観の問題だろう。